2008年7月20日日曜日

子供たちは夏休み~

 最近、忙しいっていうのとは違うのだけど、何かと時間を取られる場面が多く、落ち着いて本を読んだり、調べ物をするってことができずに過ごしている。そのせいもあって「積ん読」状態の本が減らず、ちょっと気になっている。お盆にかけて少しは時間ができると思うので、読了できる本を増やしたいものと(密かに)意欲を高めているところ…(笑)。

 今、一番気になっているのが、読みさしになっている『近代の超克』(トゥールミン/法政大学出版局)。ところで、この本は、大学時代の恩師に勧められ購入しようと思ったのだが、既に品切れ状態で購入不能の様子。初版が2001年12月27日なので、それほど古い本でもないと思ったのだけど、もともと初版の印刷部数もそれほどでなくて重版もなかったのでしょう、ほんの数年で新刊本では入手できない事態になっていたんですね。まあ、時流に乗った、万人受けするテーマでもないでしょうから、資本主義の原則からすれば当然の帰結なのでしょうが…(笑)。そもそも、この本を薦めてくれた先生自身、アカデミズムの面でも孤高を畏れず我が道を進む方ですから、先生のアンテナに響いたものが世間的にマイナーな扱いを受けているアイテムであるってのは十分納得できることではあったりします。そういう意味で驚きはしなかったのですが、でも多少残念な気持ちはありましたね(笑)…できるなら多少は世間受けしていて欲しいというような…。

 この先生のことでもう少し話題にすると、私が学生の頃で、既に壮年の域に達していらした方なので(もしかしたら今の自分と同じくらい)、随分前に定年を迎えていらしたのだけど、なおしばらくパート・タイムのような感じで学生の指導に当たられていたご様子でした。たまに電話などで話をうかがったり、ほんと稀にこちらが出張で出掛けたついでなどにお会いする機会があると、自ら営む学問の世界を何とか伝えたいと願う使命感と、それが十全に果たせていない現状に対する認識を熱意を込めて語っていらしたものです。しかし、その先生も、この春には「もう空しくなって大学に行くのは辞めた」と仰ってました。もともと、既に「職業」として生計の糧を得ることを目的として学問に携わる必要がなかったが、後進の指導に大きな意義を感じていたからこそ講義やゼミを続けていたわけで、その効果が認められない以上、続ける意味もない、ということです。今後は、自分自身の「本性」としての学問研究を続ける、と仰ってました。今年も欧州のある学会に論文を送って掲載されたり、学会で講演したりなさっているようです。(時々それら英文の論文などが送られてきて、思わず英語の「生涯学習」にいそしむことになったりします-笑)

 ドラッカーがその昔『断絶の時代』などで指摘したように、自分の仕事に「飽き」の来る中年の域に達した自分として、色々考えさせられる出来事でした。…自分も勉強せんきゃね…と奮い立たせられるって面が大きいですが。