2008年10月15日水曜日

IE7自動更新ページ撃退(!?)

 日頃、SleipnirやFirefoxを使っているのだが、たまに必要になってIE6を開くと、いつの間にかInternetExplorer7の「自動更新ダウンロードのお知らせ」ページがスタート時に開くようになってしまっていた。もともと設定では「白紙」にしてあり、何度変更し直しても次に起動すると、やはりIE7のページが開いてしまう。Spybotをインストールしてあるので、IEの設定を白紙に再変更した後、レジストリの変更を遮断するようにしたり、IEの方でブロックするようにアドレスを指定するなどしても改善されなかった。


 そこでネットを調べて、まずIE7の自動更新をブロックするという「Blocker Toolkit」をダウンロードしてみた。ActiveXを先にインストールしないと、toolkit本体がダウンロードできなかったり、圧縮ファイルを解凍すると、ディレクトリのず~っと奥の方に解凍されていて探すのに手間取ったり、Dos窓からコマンド入力でセットアップしたりと手間取ったけど…結果は×。


 次にレジストリの書き換えに挑戦。webに記載されていたStart Pageやhome_1441(?)という名前のキーの値を変更する方法を試してみたが、それでもダメ。そもそもそういう名前のキーがないものもあった。


 でも、かならず何か設定があるはずだと思って、値にMicrosftのURLが入っているものを探してみた。HKEY_CURRENT_MACHINEとHKEY_CURRENT_USERとどちらにも\SOFTWARE\Microsoft\Internet Explorer\Mainというキーがあるので、両方探してみると…「HKEY_CURRENT_USER\SOFTWARE\Microsoft\Internet Explorer\Main\first START Page」という名前を発見。そこの値はどうやら他の場所で使われているMicrosoftのURLと違っている様子。そこで、最初は、下の「Local Page」のキーのところに入力されていた「C:\WINDOWS\system32\blank.htm」を借用して使ってみた。


 再起動させIEを起動するとエラー画面が出て、blank.htmは無いとの表示!!エラーではあったがにっくきダウンロード画面が勝手に表示されず、目的は成功。場所は間違っていなかったらしい。次に、再度レジストリ・エディターを起動して、先程の値を「about:blank」に変更。次はエラーも出ず無事白紙画面が表示されるようになってトラブル解決。


 …だったと思うのだが、後から変更を確認しようとするとキーが無くなっており(?)、キーの正確な名称が確認できなかった。無効な値だったのでシステムの方で削除したのかも…。まあ、とりあえずスタートページの勝手な書き換えから逃れることができ、一件落着。最終的なキーの名前は正確でないが、firstから始まったのは確かだったと思う(自信ないけど)。


 IE7の次のブラウザの話も聞こえるが、まあ、今のところあえて乗り換える必要は無い様子。Google Chromeもあるしね。今回、スタートページの書き換えを元に戻す方法を検索したのだけど、結局見つけることができなかった。自動更新を遮断する話はあちこちにあったんだけど…。結構困っている人がいるような気がするのだけど、そうでもなかったんでしょうかね。

2008年10月13日月曜日

仮想化ソフト二重起動

 以前、ubuntuをインストールするのに格闘したVirtualPCには、他にXPと2000を入れてあって、一種の役割分担をさせて使っている。ubuntuだけ新たにVirtualBoxを入れて、そこにインストールし直したわけだ。

 …ということで、我が家のメインPCには、二つの仮想化ソフトが入っている。先日、ubuntuにはデフォルトでTorrentソフトが入っていたので、試しにubuntuのTorrent版をダウンロードしてみた。しかし、当然ながら時間はかかる。そのうちVirtualPCに入れてあった方のXPにインストールしてあったアプリを使いたくて、試しにそっちも起動してみた。

 …仮想化ソフトそれぞれで利用するメモリのサイズは、512Mバイト同士なので、なおホスト側にメモリが1Gバイト残るんだが、無茶かな~と思いながらもやってみたら…固まった(笑)。これは、全部VirtualBoxに揃えろっていう天の声なんだろうかね~(笑)。そもそも、メインの機械にユーティリティのソフトを沢山入れてしまうと、色々と不具合が起こりそうで嫌なので、それほど頻繁に使わない小物は、仮想の方に分けてあった。またそんなソフトが新たに出てきたんでインストールするのに起動したわけ。しかし、その後、結局動画関係で上手く行かないものがあったため、ネットで探した各種コーデック、ソフト類をいくつもインストールする羽目に陥り、あまり区別の意味がなくなってきてしまった(笑)。どうしようか。また大々的な引っ越しか??(笑)

「疑惑の銃弾」の結末

 サイパンから移送された三浦容疑者…今日の記事はほとんどが三浦元社長になっていた…が、自殺した。ニュースを聞いた最初の感想は、逃げ切れないと観念したのかな、というもの。本人は無罪を主張していたし、当然、推定無罪なんだが、この事件は自作自演だった疑いを拭えない…。もっともその考えは、そのほとんどが週刊誌やテレビのワイドショーなどが流した情報に基づいたもので、私自身が一次情報に接することはあり得ない以上、偏見にどっぷりつかったものであることは間違いない。正直な話、テレビの何たらドラマ・シリーズなどで繰り返されるサスペンス物を見るのと変わらない状態な訳で、何か意味のあることを考えられるわけではない。ただ、この裁判の展開を最後まで見てみたかったので、残念な気持ちはある。

 以前、考えたことだが、一事不再理の原則も今回、どんな風に扱われるのか、興味があった。あちらの司法関係者の思考構造みたいなものが浮かび上がった可能性が高く、そのような知識を持たない自分としては、おおいに勉強になる事例となったであろうから。また、亡くなった方の親族も、例え最終的に死刑判決とならなかったとしても、事件について何らかの事実が明らかになることを願っていたのではないだろうか。つまり、殺人事件に関する謎が解明されることを…三浦容疑者が死刑になるか否かはまた別にして。しかし、どうあれ、すべて終わってしまった。そう思うと、裁判の入り口と思っていた、サイパンからの移送を認めるか否かが、実質的に関門のすべてだったのかなと思われる。そこを突破されてしまうと、その先は、彼にとっては詰め将棋と同じだったのだろうか。最終手まで筋道が決まってしまっていると。

 アメリカ側では殺人罪は一事不再理の原則を尊重して、共謀罪で審理を進める方針だったのだろうという観測記事も目にした。表向き、法的な原則は万国共通であり、不満があっても日本の司法判断を無視するわけに行かなかったとしても、実質的に同等の公判を維持できる、という考えだったように思える…。まったく根拠のない思い込みに過ぎないが…。どちらにしても、最後の決着がつくところまで見たかったと思う。…野次馬根性と違いはないが…。

NHKのメジャー中継?

 調べもしないでの疑問だが…

 NHK-BSのメジャー中継。レッドソックス-レイズ戦を観ていて「?!」となったのが、バッターボックス後方のフェンスに「東進ハイスクール」の広告。その前も「ケロッグ・コーンフロスト」の広告が出ていた。どちらも漢字・かな文字で…。当然、NHKが自分でそんな広告を放送するはずないと思うのだが、実際はどうなんだろう?

 一応、自分なりに考えて可能性の高い予想が…映像はメジャー・リーグ側が各国の放送局に配信しているのだろうから、撮影した映像を配信する段階で、各国の企業から受注した広告を入れる加工を行って送信しているのだろうというもの。どうも、フェンスには、画像の組み込みが容易なように緑一色のパネルが貼ってあるだけで、放送の段階でそこに広告用の画像を貼り付けている様子。時々、パネルの端っこだけがバッターのアップの背後に映るとき、無地のパネル面だけが見える気がするので、そこからの推測だが…。

 そうだとすると、NHKが広告料を得ているわけではなく、大リーグ機構が広告収入を上げていることになるが、それを承知で配信を受けているNHKは、いわば確信犯的な共犯(…別に犯罪ではないが、比喩的に言っての話で-笑)。自局で企業名を挿入するとまずいが、スタジアムに掲示されている企業広告の看板が映像の中に入ってくることは避けられないっていうのと同じ理由で、名前が放送されたからといって目くじら立てることではないが、企業は間接的にNHKで企業宣伝を行うつもりで大リーグに広告料を支払っているようなもの。公共放送(笑)の合法的な一部私物化と言えなくもないですね。以上の想像が正しかったらの話だけど、広告を申し込む側(今回なら東進など)は、どんな目論見で申し込んでいるのだろう。興味がわく。

ポストシーズン、スタート…

 私自身は、特に野球が好きなわけではないが、日本ではスポーツ・ニュースでも野球関連のニュース量が圧倒的に多く、否が応でも野球関係の情報が耳に入ってくる。日頃、まず滅多に野球中継を視聴することもないが、たまに観ても、ずっとテレビの前に張り付いているってことはなく、途中でPCのところに行って一作業終えた頃、居間に戻って続きを観る…なんて感じ。そして、応援のやかましさと、多くの場合、「解説」という名前のおしゃべりを聞かされることが嫌で、音は消しっぱなしってことが普通。…でも、そんな風にしていると、思わず作業に時間を取られ長時間席を離れることがあると、カミさんにテレビのスイッチを切られているってこともよくある(笑)。

 アメリカのメジャー・リーグは、勝ち残っている4球団すべてに日本人がいるって事で、まだしばらく報道のタネが続きそうだし、セ・リーグは巨人の歴史的逆転劇でポスト・シーズンに入り、パ・リーグはクライマックス・シリーズで(我が地元-笑)日本ハムが1勝した。そんな中、昨日は、松坂が投げるっていうので、珍しくメジャー中継を(飛び飛びだけど)観てみた。

 以前から不思議(?)に思っていたのだけど、どうしてアメリカの選手たちは、試合中、あんなにベンチ内にツバだの口をゆすいだ水(?)だの、何かのタネの殻だのを吐き出すんだろ?観ていてどうも汚く感じるんだな~。常識や習慣の違いだろうからとやかく言うことじゃないんだけど、目にするとどうも気分が悪い。…でも、観客の応援の様子は好きだな~。企業チームや学校の代表が闘う大会で、所属企業や学校の仲間たちが団体で応援を繰り広げるっていう姿は理解できるんだけど、組織されていない、雑多なお客さんが入っているプロ野球のスタンドでも、鳴り物入りで、かつ巨大な旗などを振り回し、音頭に従って大声で一斉に叫び続けるスタイルの応援が当たり前な日本の風景は好きになれない。もっとも、これも好きずきで、そういう応援に参加することで満足できる人もいるので、とやかく言うことではないのだが、球場に行けば、自分は参加したくなくてもその大音量の声援や楽器の音に晒されるわけで、自分だけ異なった環境を得ることは不可能。もともとそれほど野球ファンてわけじゃないところへもってきて、そんなところも、球場まで足を運んで観戦しようと思わない、理由の一端かなと思う。まあ、ここだと日本ハムの試合かたまに地方に回ってくるセ・リーグ球団の試合ぐらいだから、たいした回数でもないんだけど、好きな人はよく観戦しているようで、ビール代が高い…などよく聞きますね。

 思いつくまま、脈絡のない話だけど…

 昨日は、松坂が8回まで投げたけど(アウトが取れずそこで降板だったけど)…試合展開にあまり左右されず普段から球数で交代するってのがメジャー流とよく解説される。そこで日本ならまだ投げさせるのに…残念ってニュアンスの話がつながりがちなのだけど、それは裏を返せば、投げきる=英雄…というタイプの図式を前提としたコメントってことではないだろうかと感じている。いわば、英雄・ヒーロー待望論みたいなイメージ。野球の場合、特にピッチャーだと選手本人の姿と結果を明確に照合できるので、そんなフレームワークと親和的って気がする。一方、サッカーだと、最終的にシュートした人間は一人だが、それを可能とするお膳立てに何人もの有形無形の働きかけが作用している場合がほとんど。まあ、最終局面の勝負弱さの論議はあるけど、でも「組織」として闘っていることは自明の理。したがって、野球もチームとして戦っているのだから、交代したピッチャーに余力があろうがなかろうが、その後のブルペン陣もセットで評価すべきなのだろう。それも、観戦している試合だけではなく、シリーズ全体を通した形で…。

 逆にサッカーの場合、ひとつひとつのプレイが一人の人間だけで完結しない度合いは野球よりはるかに高いにもかかわらず、特定のヒーローを(意図的に/無理してでも)作り出して報じようとする傾向が強いようにも感じる。ニュースを書く側からすれば、そのほうが書きやすいのだろうなって気はするのだけど、もう少し深みのある内容を期待したいな~と思う。他にも、優勝した選手の報道を観ると、周囲に誰か死んだ人がいないと勝てないのかなって錯覚するくらい「天国の○○さんへ…」式の話が多いような気が…。

 …これも原稿の下書きを作っただけで投稿を忘れていたら日本ハムはCSシリーズ第1ステージを勝ち抜け、レッドソックスとレイズは1勝1敗のタイになった(笑)。

ゴミ有料化

 今年最後の芝刈りをした。朝ゆっくり起きて…新聞読んで…ネットを見たり…コーヒー飲んだり…だいぶ遅くなって歯を磨いているとカミさんに「芝刈ってね」と…。住んでいる街は、来月からゴミ回収が有料化された。古くなった芝刈り機を無料のうちに滑り込みでゴミに出すため、最後のお仕事をさせろとのお達し。しぶしぶ働く(笑)…なぜなら…(言うまでもないか笑)。

 ゴミ回収の有料化自体に異論はないのだが、効果がどうなるか、気になる。このような施策は、どの程度強制力を持てるものなのか。…というか、ルールに従わない振る舞いをどのようにして抑制するつもりなのか、分からないということ。実際、ゴミ・ステーションには家電リサイクル対象のテレビや小型の冷蔵庫が放置されていたこともあるが、そのような場合、周辺の人間でなくて、遠くからそっと運んで来たっていうケースが少なくないとか--ゴミ・ステーション周辺の住民の声だが。でも、特に疑って割り引いて考えなくても良いような、普遍性のあることばだと、私は感じている。

 要するに、外部不経済が発生しやすいゴミ問題に、さらに負の方向のインセンティブが増加されると感じられるわけである。無料の時だと、カラス除けのネットをきちんとかけていないとか、時間を守らない等々の問題が話題に上ったが、有料化になると料金を負担せず放置されたゴミをどうするか、深刻な問題となる。どこかで料金を負担するのか、行政の側でその分、見込んで対応するのか。最初からフリーライダーを織り込んだ施策だと考えて料金を負担せずゴミを出す輩が多ければゴミ・ステーションが不衛生な状態になるのは必然。住民のモラルを高めて…などとといっても、生活圏の外からゴミだけ持ち込まれては打つ手なし。

 簡単に言えば、フリーライダーの抑制には罰則規定が必要だと思われるが、しかし、そのためのモニタリングのコスト(人的、時間的、経費的等々)を考えると割に合うのかどうか。ただ、そのような防衛策を何ら講じず、地域住民の丸投げする施策執行姿勢が多いのではないだろうか。他のところの話だが、町内会長が張り込みをして「犯人」を捕まえ、「もうやりません」との言質を取ったが、その後、別のゴミ・ステーションに捨てるようになっただけだったとか。私人間では限界があることは当然。

 ただ、一方では公権力の介入は…と否定的に捉える立場も存在するのでしょうね。そのため何たらの市民運動的な団体に抗議される糸口を作らないため、自己防衛的に行政の側でそれら権力行使的側面を盛り込まず施策を立案するのだろうか。まあ、ケース・バイ・ケースで理由は一概に決められないのだろうが、「仏作って魂入れず」。せっかくの取り組みも住民の満足感を低下させるだけの結果になっては残念だ。今後の展開を注意深く見守りたい。

 …ここまで原稿を作って、投稿するのを忘れていた(笑)。案の定、料金を負担せずごみを出したり、分別の区分を守っていないごみがチラホラ…。市役所の職員は、朝早くから当日の収集区域のごみステーションで立ち番をしている様子。効果のほどに限界があるのは当然だが、少しでも努力しようとの姿勢を見せることが重要なのだろう。今後、「違法」な(?)ごみが減ることを期待するのだが…。