2008年6月14日土曜日

ドラッカー『断絶の時代』

 以下、少し長くなるが引用

□(p.316~)
 多くの知識労働者は、たとえ仕事に満足していても、中年の初めには飽きてくる。定年のはるか前に、興奮、意欲、情熱を失う。学校教育の期間は延びたが、それでもまだ残された労働寿命が長すぎる。

 アメリカの自動車、鉄鋼、タイヤ産業等で明らかなように、肉体労働者が、定年をむしろ喜んで受け入れる状況を見れば、早期定年がひとつの解決策になる。肉体労働者には、暇に伴う問題はないかに見える。とくに文化的なものに関心がなくとも、時間をもてあましたりしない。フロリダに住み、小さな庭、釣り、ゴシップに時を過ごす。工場へ戻るつもりはない。

 しかし、知識労働者の定年は簡単な問題ではない。定年後は、あっという間にぼける。知識労働には習慣性がある。20年以上続けているとやめられなくなる。そのくせ同じ仕事では、情熱をもって働き続けることができない。燃え尽きる。 このことは、権力や地位のトップまで上り詰める、ごくわずかのものについては当てはまらない。トップの者は情熱をもち続け、没頭し続ける。しかし圧倒的に多くは、30歳にして聖人や修道院長になれないことを知った聖職者と同じ幻滅に襲われる。
 たとえ順調にいっても、45歳頃となれば、疲れ、気力を失い、飽きる。そのような市場調査部長や品質管理部長が大勢いる。海軍工廠にはそのような会計官がおり、陸軍には訓練担当の中佐がいる。政府機関にはエコノミストがいる。病院にはソーシャルワーカー、大学には教授がいる。
 すでに企業、政府、軍、大学では、リサイクル、再充電、リフレッシュ、国内留学が話題になっている。これは個人の問題ではない。知識労働者に共通の専門家としての自負と、昨日の熟練労働者の後継という現実の二面性がもたらす当然の帰結である。

□(p.318~)
 順調にやってきた45歳あるいは50歳といえば、心身ともに働き盛りである。その彼らが、仕事に疲れ、飽きたということは、第一の人生では行き着くところまで行ったということであり、そのことを知ったということである。
 趣味や教養では生き返れない。プロとしての仕事の味を知っているからには、素人の時間つぶしでは飽きたらない。趣味に時間を使ってもよい。とはいえ、金はもっていても、趣味を生活の中心にもってくることはできない。その気はない。仕事以外のものに生きるには、かつての貴族のように、子どもの頃から慣れていなければならない。

 ----<引用はここまで>----

 ビジネス関係の雑誌や新聞の社会面に、リタイア後の生活に関するノウハウを論じたものが多い。かつてオーディオがブームだった70~80年代に青春時代を送った団塊の世代を当て込んだような、高級オーディオの広告も急に増えてきたような気がする。そして、この世代が定年まで10年前後となった当時、定年後に向けて趣味を増やそうとか、ボランティアに触れよう…そんな記事が増え始めた気がする…単に気がつくようになっただけかもしれないが。

 それに対して、仕事こそ趣味だ、というタイプの反論もさまざまな形で目にした気がする。どれも「知識労働」にまつわってドラッカーが論じたテーマに包含されていた気がする。「仕事が趣味だ」式の人は、プロとしての知識労働を知っている人が述べていたのだろうか…。家庭菜園や釣りやその他、アウトドアを初めとした定年後の暮らし方を推奨した人たちは、肉体労働の人たちが築いてきた定年後の暮らし方文化を目にする機会が多かったか、報道される情報に接するうちに親近感を持ったような人たちだったのかもしれない。

 世界最速のスピードで進むとされる日本の少子高齢化も、出生率が危機的に低下し続けているという形で世間の常識となったのはそう古い話ではないと思うが、すでに今から半世紀近く前に、将来起こりうる事態を論じていたということに感心した。「未来を予測する」式の本は、ほとんど信用していないので、自分で手に取るということは決してないのだけど、すでに時間が経過していて、未来予測的な部分を除いてもなお何か参考になるコメントがあるだろうか?…と思って読み始めた本だったのだが、さすがに今なお高く評価する声のある人なのだと思った。シンプルなファクツをひとつひとつ積み上げながら論を進める営みは、地道な作業に見えるが、職人的な匠の技のようにも思える。そういう意味で、手法を開発し、誰でも同様な結果を得られる方向で発展する傾向のある科学という形に、ドラッカーの能力をまとめていくのは困難な気がした。もっとも、異論・反論も存在するのだろうが、素人レベルの社会科学マニアには十分参考にある本だった。

2008年6月1日日曜日

NEC PC-9821V20

 古くなったパソコンを廃棄しなければ…と思いつつもほったらかしになっていた。今日、期せずして暇ができたので着手してみた。

 まず、買い取り・引取先の点検。リサイクル・チェーン店に電話で確認すると、CRTディスプレイも含めて引き取ってくれるとのこと。当然、値段など、端から期待していないので、引き取ってくれるだけで御の字の気分。ついでに別のPCとセットで買ったCRTディスプレイも一緒に持っていくことを計画。そちらも電話のついでに訊いてみると、画面設定がボタン式のものならOKとのこと。ホッとする。そこで今度は、ハードディスクのデータ抹消を検討。

 何せ、AT互換機になる前の、NEC独自仕様の時代のPC-98シリーズのWINDOWS95。ネットでフリーの消去ソフトを探してもなかなか見つからない。特に空きスペースを抹消してくれるものを探して、いくつか試したもののインストールできないものばかり。大抵サイズが大きすぎてフロッピーには入らない。CDドライブも規格が古いものだからRWを読んでくれない。CD-Rなら読むが、たった数メガバイトのために1枚使うのももったいないので、ファイル分割ソフト(懐かしい!)を探してフロッピーで移し、何とか結合させて起動させてもインストールできないと断られるばかり。そのうちやっとPC-98用の「98DESTROY」というものを見つけてひと息つきました。しかし、これにもちょっと悩まされました。最初、SCSIで接続している外付けのHDを抹消しようと思ったのだけど、実行させる段階で反応しなくなってしまう。WIN95から作成した起動ディスクなので純粋なMS-DOSとバージョン違いで上手く行かないのかなと思って、MS-DOS6.2のインストール・ディスクを探してブートさせ、そこでFDを入れ替えて「98DSTR.EXE」を起動させてもダメ。消去条件を変更したり、SHIFTキーを押しながら入力してみたりと色々試してもやはりダメ。そのうち、試しに内蔵HDを指定してみたところ速攻でスタート!!どうも外付けに対応していないソフトだった様子。まったく疲れた。

 その後、WIN95を再インストールしておこうと思い、PC付属の再インストール・ディスクを起動。しかし、そこでも領域確保や状態変更等、疾うの昔に忘れてしまった知識を必死に思い起こしながら作業を進めることになり、やたらやり直しで時間を取られる。そして、再フォーマットも終わって再インストール、と思ったら、どういう加減が外付けの方に書き始める始末。あくまで本体を引き取ってもらうために、無駄とは思いつつも、動いていることをアピールするためのことなんで、内蔵のドライブにインストールされなければ意味がない。途中で止めて、またおかしくなっても嫌なのでとりあえず終わるまで待つことに。…その間、時間つぶしに、以前職場の同僚が貸してくれていた枝雀のDVDを鑑賞(笑)。小1時間経ってから再度トライ。今度は無事、内蔵ディスクにインストールも終わり、再起動。やれやれとセットアップをしようとすると、WINDOWS95のプロダクト・キーを入力するように促される。「え~!」と驚いて、あちこち説明書やシステムのディスク類を保管している引き出しをひっくり返すも発見できず。「もう要らんだろう」とナンバーが記されているカバーの方を捨ててしまっていたらしい。CD-ROM自体は、空ケースに保管されていたが、キーは別になっていたらしいのだ(泣)。そこで、一度諦めたのだけど、再度気を取り直して探してみたら別なとこから入手。やっとインストールを終えることができました。ほとんど半日潰れました(泣)。

 当時、起動ドライブを変更したり、独自メニューをバッチ・ファイルで作ったりと、自分なりに色々いじっていたものなのだけど、すっかり勝手が分からなくなっていて無駄に時間がかかってしまった。ほんと、昔は不便だったんだな~と改めて実感しました。なんだかんだ文句いうことが多いとはいえ、ほんと、今の機械は昔に比べて便利になっているんですね。