2008年10月13日月曜日

「疑惑の銃弾」の結末

 サイパンから移送された三浦容疑者…今日の記事はほとんどが三浦元社長になっていた…が、自殺した。ニュースを聞いた最初の感想は、逃げ切れないと観念したのかな、というもの。本人は無罪を主張していたし、当然、推定無罪なんだが、この事件は自作自演だった疑いを拭えない…。もっともその考えは、そのほとんどが週刊誌やテレビのワイドショーなどが流した情報に基づいたもので、私自身が一次情報に接することはあり得ない以上、偏見にどっぷりつかったものであることは間違いない。正直な話、テレビの何たらドラマ・シリーズなどで繰り返されるサスペンス物を見るのと変わらない状態な訳で、何か意味のあることを考えられるわけではない。ただ、この裁判の展開を最後まで見てみたかったので、残念な気持ちはある。

 以前、考えたことだが、一事不再理の原則も今回、どんな風に扱われるのか、興味があった。あちらの司法関係者の思考構造みたいなものが浮かび上がった可能性が高く、そのような知識を持たない自分としては、おおいに勉強になる事例となったであろうから。また、亡くなった方の親族も、例え最終的に死刑判決とならなかったとしても、事件について何らかの事実が明らかになることを願っていたのではないだろうか。つまり、殺人事件に関する謎が解明されることを…三浦容疑者が死刑になるか否かはまた別にして。しかし、どうあれ、すべて終わってしまった。そう思うと、裁判の入り口と思っていた、サイパンからの移送を認めるか否かが、実質的に関門のすべてだったのかなと思われる。そこを突破されてしまうと、その先は、彼にとっては詰め将棋と同じだったのだろうか。最終手まで筋道が決まってしまっていると。

 アメリカ側では殺人罪は一事不再理の原則を尊重して、共謀罪で審理を進める方針だったのだろうという観測記事も目にした。表向き、法的な原則は万国共通であり、不満があっても日本の司法判断を無視するわけに行かなかったとしても、実質的に同等の公判を維持できる、という考えだったように思える…。まったく根拠のない思い込みに過ぎないが…。どちらにしても、最後の決着がつくところまで見たかったと思う。…野次馬根性と違いはないが…。

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