2008年8月24日日曜日

オリンピック雑感

 野球とシンクロはメダルなしらしい。柔道の不振に始まり男子サッカー、男女バレー等々、早々と敗退が決まった競技には、マスコミで色々なコメントが雨あられと降り注いでいる様子ですね。いつものことですが…。

 割と日本で人気のある競技の場合、事前にいいだけマスコミがメダル獲得を煽って、視聴率を稼ごうって魂胆が丸見えで興ざめする。しかも訳の分からんタレントやら何やらを大人数動員して…競技の内容と関係ないところで主観的で情緒的な言動をまき散らすし…。まあ、文句言っても仕様のないことだが… お金が絡んでる仕事だからね、マスコミにとっても…。そのビジネスモデルの是非は置いておいて。

 期待されながら敗れた競技に対して「精神的にひ弱」とか「気合いが足らん!」というタイプの評価がなされ、そこからメンタル・トレーニングの重要性などが指摘されるようになってきているが、当該競技で有力とされている諸外国でも結構番狂わせが起こっていることに気付いた。男女ともバトン絡みで有力国が脱落した4×100mリレー以外にも、予選段階で思わぬ敗退を喫したケースが、今回随分気になったということ。中には土佐や野口のように怪我で…というケースもあるが、メンタルな要素が作用して思った通りの結果が得られず脱落ってケースも結構あると思うのです。金メダル当然とされていながら緊張しすぎて破れたり、決勝まで進めなかったという感じで…。そういう意味では、どの国だって、失敗する人や団体もあれば、思わぬ金星ってこともあるってわけで、お互い様、日本だけ弱いだけじゃない気もしてきました。それでもメダル獲得数でベスト10にいるだけで、随分凄いことのように思える。特に日本の場合、欧米の国々のように陸上その他の個人競技でアフリカ出身の人たちを代表とする移民した選手たちがメダルを大量に獲得してくれるって展開がほとんど無いですから。

 昨日の朝日新聞のスポーツ面のコラムで、オリンピックでの敗戦とメンタル・トレーニングについてコメントがありました。そこでは勝負弱さと形容できるような部分を今後研究・対応すれば今より競技力・勝負力が向上するのではないか、という趣旨のことが書かれていました。しかし、そもそも運動に限らず、勝負事で勝利を得るためのプロセスとは、具体的客観的な原因・結果・対策のループをどれだけ地道に取り組み続けられるかということで、言葉・表現が違うと何か新しい提案をしているように錯覚させられそうになるが、当たり前のことじゃないかと感じた。それでも試合で敗北するケースは起こる。その時も、同じ批評を繰り返すことのできる論理構造ということで、個人的にはあまり感心できないコメント。(具体的客観的というのは情緒的・希望的・願望的要素を冷静に排除して…というような意味合いですが…)

 ところで、具体的な対策ってほどではないが、狩猟民族・農耕民族の比喩に関連して…。同じ競技ごとで比べた時、全部ではないけど、一般的な傾向として日本の選手は身体の線が細く感じられた。昔から指摘されていることだが、身体の大きさだけでなくて筋肉の付き方が違う気がする。ただ、これは全部DNAだけに原因を求められることではなくて、幼少期からの食事内容などにも起因している気もする。専門家には当然その辺のところが分かっているだろうけど…。もっとも、分かっていたとしても、誰がオリンピックを初めとした国際舞台で活躍するアスリートになるか分からない段階から、食事を含めた専門対策はできないし、代表候補になる頃は身体の大半は出来上がってるはず。そこから急激に筋肉付けようとして無理すると筋肉増強剤などに頼ろうとするインセンティブが働いたり…。もっとも筋肉の話は個人的な想像に過ぎないので専門家の見解を知りたいですけどね。

 話は飛びますが、オリンピック後の中国の姿に興味が湧きます。外国の記者団は、オリンピック中の取材妨害に対して抗議声明を発表したようですが、人権、経済、軍事…どうなって行くんでしょう。

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