官房機密費の話がちらちら目に入る。少し前から話題になってきていた。かなりの(…ここは正確ではないが…)ジャーナリスト・学者・評論家などが、その恩恵を受けてきていた、という話。いわばソフトな言論統制ということだと思う。もっとも、これも情報統制や情報操作の表れなのだとすると、もうホント一般人は政治の世界は分からないことになるが、どっちであったとしても「藪の中」であることは違いない、と思っている。
真実は現場にある、のだろうけど、その真実は、現場に遭遇した人にとっても各々異なっていることがありうるわけで、週刊誌などで好まれる陰謀説も含め、ストーリーは何種類も存在するんだ思うようになってきた。ただ、それでも自分なりに納得しやすいストーリーを探したいのだけど、大手のマスメディアの論調は、どれも納得のいかないものが多い。新聞など、必ずといっていいほど何らかの評価・展望が最後に付け加わるのだけど、根拠が不明な場合が少なくない。それは、読み手からすると、直前までの記述からいきなり飛躍するようにすら感じることも少なくないということ。もしかしたら、現場にいる人たちだけが感じている追加情報があるのかもしれない(…多分、あるんだろうとは思っている…)が、奥歯に物が挟まったような感じで明らかにせず、そこから飛躍して紋切り型にコメントをくっつけて、一定方向に意識を向けさせるような印象付けだけするような記述は、どうも気に入らないんだな。
もし「書けない事がある」というのであれば、ジャーナリズムのアポトーシスということかな。それが何故書けないのか、が問題。官房機密費の話なんかが出てくると、「書けなかい」ではなく(都合の悪いことは)「書かない」だったんじゃないか、と勘繰られてしまう。どこかに気兼ねして書けない事があるのは、ありうる。しかし、「どこ」への配慮だったのか、ということだね。
しかし、今、マスメディアのビジネスが急速に破綻に近づいていると言われ始めている。そうなった時、もう気を使っている余裕はない、といって書き始めることがあると、もしかしたらマスメディアに対するニーズが復活するのかもしれない。新しい魅力を持ったことで。…でも、こちらのシナリオ、可能性は高くない気がする。
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