2008年5月17日土曜日

ミル『自由論』雑感

 ミルの自由論。その書名は昔から目にしていたが、テストのために覚えておくべき政治経済分野の古典として名前を知っているだけで、大学あたりの授業か何かで課題にでもされない限り実際には読むことのないものと考えていた。でも、何かの折、本屋でたまたま目にして、その時買おうと思っていた本と関連があった(…のかもしれないのだが、忘れた…)ついでに買ってきて…これも数年間本棚で眠っておったのであった…。

 長い論考の各々について触れることは、自分の力量も物理的なスペースも越えているので避けるとして(笑)、読後感を…。それは、一言で言えば、百年、二百年経っても本質的に変わっていないんじゃないか、世の中って?というイメージ。昨今の時事論壇の主張、正論・反論問わず、それらの根拠として示される論点・論旨の原型が何度も現れてくるのである。まったく同じような主張を先日も耳にしたような錯覚にとらわれるくらい、論理がオーバーラップしている。確かに、科学的な手法や脱宗教的な論理などなど現代の学問世界の原型は19世紀にあり、時代時代の出来事でデコレートされることで新しい装いをまとって、ニューフェースよろしく、何度も登場し直してきているのだろうから、同工異曲を聴くのも当然かもしれない。まして、その時代その時代に生まれた人間には、嘘偽りなく初めて目にし耳にする話題な訳だから新しく見えるのも当然であろう。そして、歴史というもの全般を、進歩発展する現代にとって無用の長物とする風潮においては、このような事態がますます加速することは必然。、アカデミックなものでさえ、過去の蓄積を顧慮するより、無駄な装飾や回り道を削り落としてコンパクトでスマートになった教科書を要領よくマスターし、その後はできるだけ独自の言い回しを生み出してそれをテクニカル・タームとして認知させることを競うような「エコン村」の住民型の輩が増えていると言われているようだし。

 ミルは『経済学原理』も有名だが、さすがにこちらは買っていなかった。マーシャルの方は欲しいとおもったものの、気がついた時には既に新刊は絶版で、古書もそれなりの値段で断念。それは置いておいて…ミルだが、解説によるとこの『自由論』は『経済学原理』とセットの性質があるらしい。有名な賃金基金説を前提に論じている労働者に関するコメントなど、その典型であると指摘されていた。また自由放任という表現も、ミルにその起源、もしくは起源の一端があるかのような表現があるが、そうはいっても、後年、夜警国家などと揶揄されるほど、必ずしも貧しさで餓死することまで自由の当然の帰結として考えていたわけではないらしい。まあ、当たり前のことなのだけど、えてして後生、誰かが勝手にオリジナルに付け加えたコメントまで本家の責任にされがちなので、自分としては明確に区別がついたことに、この本を読み切ったことの満足感の一端があったりするわけだ。

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