2008年5月3日土曜日

石の上にも三年

『若者はなぜ三年で辞めるのか』。遅ればせながら読んでみた。職場の休憩室には、読み終わって古くなったアエラを置いていく人がいるのだけど、それをパラパラめくって斜め読みしていた時、若者の雇用環境と勤労観などについて取り上げたページが目に止まった。『シュガー社員が会社を溶かす』とか『負け癖社員はクビにしろ』などだったかと思う。これらの中には、(化石的な表現である)新人類どころか異星人、異次元人(?)とでも呼べそうな面々のエピソードが登場するし、それらは他のところでも目にしたり耳にしたエピソードの同型異種とでも呼べそうなものが多い。そんな内容のさわりを紹介したその記事に刺激されて、紹介された本を実際に読んでみようと思ったのだが、その時、以前から話題になっていた前掲書が目に止まり、ついでに読んでみようと手に取ったのだった。


すでに同じ著者が、辞めて3年後の連中がどうなっているか、という後日譚的著書を上梓しているので時代遅れもいいところなのだが、自分が持っていた雇用環境等のイメージを整理する上では無駄ではなかったと思う。


就職超氷河期とも呼ばれた、経済の長期停滞期に日本の雇用慣行の多くが揺らいだ、ということ。それは、他にもいろんな場面で強調されてきたことだと思う。ただ、そのような変化があった部分より、今なお残存している終身雇用制的な側面と、新たに導入され始めた仕組みが馴染んでいないことに起因する社会的齟齬がポイントのように思える。新しい仕組み(米国流であれ新しい経営理論に基づくと華々しく宣伝されたものであれ)が上手くワークする、いわばフットワークの軽い会社というのは、比較的規模の小さめなケースが多いだろうことが想像される。何事も例外はあるし、程度の問題だが、それでいうと大きな企業で新しい制度が導入されると、制度的な摩擦から、とばっちりを受ける人の方が大量に発生することが予想され、結果として恩恵を受ける人よりダメージを受ける人の方が社会全体として多くなるのだろう。実力主義ってスローガンの下、行われた新しいマネージメントの実態は大義名分の立つ「首切り」に過ぎなかった面があったらしいことからもそのような傾向がありそうな気がする。これが、メリットを感じられる人の方が相対的に多かったのなら、何かにつけ取り沙汰されるような社会的不満はそれほど大きくならないだろう。社会的心理の下地として不満な気持ちを抱えている故に、年金問題でも後期高齢者医療制度問題でも政府に対する反対票が加速度的に増えていっているような気がする。多少不手際があったとしても多くの国民が前より希望の持てる施策が進められていると感じていれば、気長に成果が現れるのを待とうという雰囲気が生まれそうな気がする。


その昔、新聞の報道を読んでいる限りでは、明日にでも政府が崩壊するのではないかと言うくらい政権批判の言葉が紙面を飾っていても、いざ選挙になると与党が圧倒的に多数を占めいていた。子供の頃…まあ、冷戦がまだ激しく繰り広げられていて、国内でも左右両派の対立が国会乱闘などに結びついていた時代だけど(笑)…不思議でならなかったんだけど、いろいろ不満はありつつも、まだ政権与党の施策を許容していたんだということなのだろう。長いものに巻かれていたり、儒教的封建的な意識だけだったり、付和雷同や風見鶏だったり…と何も積極的に事態を肯定していた人ばかりがいた、とは思わないのだが、それでも現在歩いている道の延長線上から、それほど離れていない先に未来があったというイメージだろうか。


実際にアメリカ風であるかどうかは別にして、発展途上国で怨嗟の的となるグローバリゼーションは、日本の場合でも多くの場合アメリカの名前と共に広まりがちだと思うが、自己責任や実力・成果主義的人事管理の結果、それまで広く薄く多くに人々に振る舞われていた賃金が、一部に集中するようになり、その分、分け前に与れなくなった人々はお払い箱にされた、という図式は、アメリカのビジネス社会の風景とオーバーラップして見えるのは否定できない。そして、金融・証券関係の仕組みもあちらに近づいて行っているのは間違いないことだろうし、サブプライム問題で、勝ち逃げしている奴がいるのも、あちらの国らしい。もっともあちらの国の中でも逃げ遅れた奴がいるみたいだけど、ひとつの会社内の格差が、国際社会全体で繰り広げられるようになっていっているってことだろうか。理屈から行けば、当然の帰結だが…違いは結果が行き渡るまで時間がかかるって事だけか…。


話は戻って、古き良き終身雇用慣行に回帰すれば問題が解決される、なんて簡単なものではないが、シャーシの中に、最初のうちは点在していたコロニーが、時間が経つに従い拡大し、やがて接触しあうものが現れる。そのうち、互いに距離を置いて共存したり、一方が他方を侵食し呑み込んでしまうなど、さまざまな定常状態に到達し安定する…現在の状況もそんなことなんだろうか。当然、接触している最前線では戦いが繰り広げられ、多くの犠牲が生まれていたことだろう。


時流に乗ったお題目を付和雷同的に吹聴するイナゴが目に余って腹立たしい気持ちにさせられることがたびたびあるものだが、このところそんなことが当たり前な風景になって久しいな…。

0 件のコメント: